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最悪な志で見る映画館

ゲスな映画の話題ですみません。中途半端にエロですみません。


by saiaku-eiga

キング・コングとヒロインのイケナイ関係

キングコングのことは、この最悪な志のblog読者でも、ご存知でしょう。もしかすると女性の裸コレクターの中に、キングコングに気付いたお目が高い方もいらっしゃる…かも。

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キングコングは所謂怪獣ですし、アニメにもなってますし、どういういきさつか東宝でも大暴れしています。ハリウッドゴジラが登場する遥か以前、きっと「子供向けというオトナの事情」だったのでしょう。

そのような事情に次ぐ事情で数多あるキンコンコンテンツ。しかし、殊オリジナルとそのリメイク版には、当blog好みのテーマが、がっつりと組み込まれています。それは女性性の強調です。残念ながらそこには男性のマッチョイムズもついてくるけれど…。それがまさしくじわじわと変化していくのが、キングコングの歴史とも言えるのです。ここではコング・ガールを3人追っていくことにします。

1933年、世界恐慌の爪痕も生々しいアメリカで、映画技術の粋と歴史と可能性の全てを賭して作られたのが、初代キングコング。もうこの時点で、資本主義経済の限界と未開の恐怖と野蛮な美が、つまるところ映画という架空の人生の非日常がこれでもかと詰まった作品なのですが、その中でもやはり見逃せないのが、美女という存在。
先に上げたリンクからあらすじを参照して頂けるとありがたいのですが、あの猛々しい男性性の象徴たる巨大ゴリラは、髑髏島の原住民から生贄としてアン・ダロウという女性を捧げられ、美女に惑わされて現代人に捕らえられ、大都会N.Y.で鎖を引きちぎるもやったことと言えばその美女を捜すこと。結局彼は、アン・ダロウによって運命を狂わされた雄なのです。
ここでのヒロインは、フェイ・レイ(Fay Wray)さん(しっかしこのリンク先は一体誰?詳しい人いませんか?)。当時の映画女優らしく、少し面長しもぶくれのエキゾチックな美女のフェイ・レイさん。船旅で甲板のシーンでも、当時の時代背景が案外そうだったのか、ノーブラで揺れる胸もはっきりとわかります。こんなに普段がエロでいいのか心配になっちゃいますね。
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1976年、続編ではなく基本の物語を同じくした、リメイクのキング・コングが公開されました。巨費を投じたコングの実物大模型と、ジェフ・ブリッジズ等が出演した大作です。しかし、ここでも最大の話題はコング・ガール。ジェシカ・ラング(Jessica Lange)。撮影当時26歳。
油田開拓の為に未開の海を航海していた船が、或る日、遭難した救命ボートを救助する。ボートには、ジェシカ・ラング演じるドワンという女優。どうなんだこれは…女優ひとりを残して映画の撮影隊一行が全滅ってこと?
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行き着いた島の原住民が、船を襲い、結果ドワンは誘拐されてしまいました。何の為か…33版と同じ、生贄としてコングに差し出す為です。
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大まかなストーリーはほぼ前作を踏襲しているのですが、違っているのは大きく3つ。まずは、特撮。ミニチュアは殆どありません。コングの上半身も、ドワンを掴む手も、顔も、実物大なんです。33年ヴァージョンではそこ迄の技術も予算もなく、当時始まったばかりのミニチュアを怪物を一コマずつ動かして撮影し、まるで動いているように見せていた。それが、ドル箱キャラクターになったキング・コングは、実物大のロボットにして貰えたわけです。次に、クライマックス。33年版ではコングがアンをさらって登るのは、言わずと知れたエンパイア・ステート・ビル。N.Y.の象徴です。しかし76年にニューヨーク1のビルは、ワールド・トレード・センターになっていました。制作当時市民から、コングが登るならエンパイアじゃないと!と要望というか抗議が殺到したらしいですが、最終的にはワールド・トレードセンターのツインタワーになってしまった。3つめの変化は、コングと女優ドワンの関係の描き方。
問題ありありです。コングは20mもあるのに、173cmの人間の女優に、あまりにも露骨に性的興味を示します。描写も、完全にハラスメント。泥だらけになったドワンを滝壺に落として水で洗い、掌の上で、息をかけて乾かしているコング。そしてその風を受けるドワンの様子。彼女は、感じてるんです。性的な暗喩、どころか、愛撫を受け入れてるんです。
若干の、と言えるのかどうか、コングとドワンには絆が出来、彼女がN.Y.で追い詰められたコングを助けようとするが、あえなくヘリコプターに撃たれ、落下します。しかしこの巨大ゴリラだけでなく、荒くれの船乗り達も、形ばかりの礼儀で美女にがさつに接し、卑猥な目線を隠そうともせず、それが、
「根は優しい、気のいい海の男」
を肯定的に表しているという寸法です。何しろ時代が丸ごとそうだから、メタファーとしてのコングにもその気性は憑依している。それを優しく受け入れるジェシカ・ラングはこの映画でそんな風に揉まれながらチャンスを掴み、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(これもリメイクですね)でフェロモンを振り撒いてスター女優としての地位を確固たるものにし、「トッツィー」という当時としては本当に早すぎたテーマの傑作コメディーではキュートな役柄も見事に演じ、キャリアを積んでいくのです。「郵便配達は…」はそう言えば、元々は不貞の妻がは罪を逃れることが出来ないという話の筈が、ジェシカ・ラング版では、彼女は全てをお膳立てしているのでは…という程の強烈な誘惑、謎めいた雰囲気を纏っています。
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ジェシカという女優のパワフルさは、キングコングでもう完全に目覚めています。目覚めていないのは、時代です。
男は粗野でぶしつけで、スケベなジョークを飛ばし、いざとなったら身を盾にして女を守るけど、それすら恩着せがましい。女はそんな時代を泳ぐ為に、男勝りに男達に付き合うしかなかった。

この作品には、同監督で俳優を一新したパート2があります。リンダ・ハミルトンがチラリズムどころかバーンと胸出してシュラフの中でセックスしてもいますが、すみません、ここでは飛ばしますm(_ _)m。

時代はCGになります。ピーター・ジャクソン監督が、何故か、ロード・オブ・ザ・リングと比べて少し野暮ったいCGで、長年の夢を叶えます。映画的なプロットの宝庫を自分の手で映画化してしまうんです。
ピーター・ジャクソン監督は、設定を1933年に戻します。それから、かなり初作の詳細迄をそのまま採用しつつ、幾つかの要素を足しています。
男性マッチョイムズをぐんと後退させています。男どもは卑猥な冗談を言わず、航海士のベンなどは寡黙でも理想的な疑似父親でさえある。ヒロインを救出しニューヨークでもコングとタイマンを張るドリスコルは、職業は劇作家だし、ちゃんと言葉で口説けないやさおとこ(但し背は高く鼻は高くイケメン枠ではあります)。
後退したマッチョイムズはキングコングにも適応されていて、彼とヒロインの心の交流はそんなにセクシャルなものではありません。やっとヒロインの話題になりましたが、2005年作でのヒロインは、女優のアン・ダロウさん。1933年のアン・ダロウは、舞台でもお客が入らず、食うや食わずというか炊き出しにすがり、ジャック・ブラック演ずる胡散臭い監督に丸め込まれてスカルの島へ行くことになります。ダロウを演じるのは、ナオミ・ワッツ。あらゆるジャンルで、リミットなく演技をする、タフで美しい女優です。ピュアになる、難解にもなる、コメディエンヌにもなる、惜しみなくヌードにもなる。
33年設定に戻った筈のコング・コング舞台でありながら、男女の在り方は大きく変わりました。コングとダロウの関係は、セクシャルな興味というよりも明らかに心の交流になっています。孤独なコングに寄り添おうとする都会の女優ナオミ・ワッツは、優しくすればする程、近付けば近付く程、彼を孤独にしていく。
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彼女はここで、無駄に男性に日和ったエロを放ったりせず、品格を持ち、でも時折り乳首が服を突き上げている。
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さてその他にもキングコングは映画化され、TVに登場し、アニメにもなりましたし、新シリーズも生まれてますが、
「文明人が未開の島で類人猿を拉致し、都会を逃げ回って人間の美女との恋は実らずに自死に近い形で死ぬ物語」
は、この3つということになるでしょう。コングとヒロインの変化は、
1933年版:髑髏島という島で文明から隔絶された七不思議のひとつが、結局手がつけられないという物語。ヒロインはひたすら叫ぶのはモンスター映画の定石。
1976年版:髑髏島も文明社会も、幅を利かせているのは男性優位讃歌。それらを包み込みなだめすかすマドンナ。
2005年版:髑髏島であろうとN.Y.であろうと、男性優位は揺らいでいく。しかし何処を見ても格差と偏見の色濃い世界構造はそのメタファーを類人猿ロミオと人類ジュリエットに託して描かれる。


今後、キング・コングはリメイクされるでしょうか。もしもキャラクターだけでなくこのプロットでのコングが再生するのなら、その関係性はどうなるでしょうか。
解釈がこれ迄、ドラキュラ美女と野獣シェークスピアと変遷してきたのですから、次は、…何でしょう?もしかすると文明社会が収容所で、髑髏島が隔絶されたユートピア…。もしかすると髑髏島は幽閉だと知っているコングが、脱走を計る為に純真な女優を利用する…。もしかすると、生まれる時代と場所と属性を間違えた2人が、2人だけの世界に跳ぶのかどうかの究極の選択を迫られる…(余談ですが、先行リンク先の映画は、blu-rayがお勧めエロも舞台も物語も最高ですが、サリー・ホーキンスの無修正が観られるのはディスクだけ!)。

しかし、きっときっと、時代が変わっても、コング・ガールがセクシーな半裸の女性でコングの生涯を狂わせることには変わりないでしょう。


















































by saiaku-eiga | 2023-01-06 13:02 | 最悪映画 | Comments(0)